配達中の景色 玉造 見落してた!

5月14日付の読売新聞夕刊に「史書をたずねて」という面が

ありました。その日は「綿考輯録」(めんこうしゅうろく)・大阪 玉造 と書いてあり、

地図は、大阪城のそばで、よく見ると櫻井彌の店の近所!

越中井・ガラシャの歌碑 とあり、よくよく記事を読むと

玉造にある「日本料理 寺田」さん(ホームページのお取り扱いいただいている料亭紹介参照してください)

の配達帰りに通る道でした。

え!こんなところにガラシャのゆかりの物があるなんて!

全然知らなかったです。

細川忠興邸の井戸だったという越中井があり、そのそばの石碑に

忠興の妻、ガラシャの辞世の句が刻まれているという記事でした。

「綿考輯録」には細川家の家史が記されていて、

ガラシャのことも書かれているそうです。

ガラシャは、明智光秀の娘で、玉と名付けられ、

のちに信長の勧めで細川忠興と結婚します。

美男美女の夫婦だったみたいですよ。知らんけど。

幸せだったのに、父が本能寺の変で信長を襲撃し人生が一変。

とっても美人で、夫の忠興は大好きだったので、謀反人の娘と離縁するよう

細川家の当主から進められるも受け入れず、京都の田舎へガラシャを幽閉します。

約2年ほどしてほとぼりが冷めたころ、玉造の細川邸に戻ってきます。

そのころキリスト教と出会い洗礼を受け、ガラシャと改名。

関ヶ原の合戦前の1600年、細川家の敵西軍、石田三成軍勢が邸を囲み

人質になることを求めるがガラシャは拒否し

侍女を逃がし、老臣に自らを討たせて命を絶ちました。(キリスト教は自殺を禁じているため)

その時の辞世の句が、歌碑に刻まれているそうです。

「散りぬべき 時しりてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

(花は散る時を知ってこそ花であり、人もそうあるべき。

今こそ散る時なのである)ガラシャ 38才。

ちなみに忠興は82才まで長生きしています。

この奥様のおかげで石田軍の人質作戦が上手く行かなくなり

徳川が勝ったと言われています。

立派な武士の嫁です。

でも、同じ時に忠興の息子の嫁は、屋敷から逃げ出し

それに怒った忠興は、息子と縁を切っています。

忠興という人物なかなか興味深くて色々調べてみると、

ガラシャに対して愛情が深すぎて嫉妬深く、

植木職人が庭の剪定中に顔を見たというだけで、首をはねたという話も

あるそうです。

来年の大河ドラマは「麒麟がくる」で、明智光秀が主人公です。

ガラシャも出てくるでしょうね。楽しみです。

sdr

車で移動している時に撮ったのでわかりにくいかもしれませんが、

生垣の奥にある井戸の奥に見えている石碑に

ガラシャの歌碑が刻まれています。

本当に言われないと素通りしてしまうようなところです。

この歌碑の近くに、ガラシャと高山右近の石像がある

大阪カテドラル聖マリア大聖堂があります。

この辺りは、私が知らないだけですごい所がいっぱいあるんだと思います。

時間のあるときには調べてみよう、行ってみようと思います。

 

 

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